自分を知る為の四柱推命講座(ラスト1講座)
しょうへいの個人的な話

マジックの世界大会元日本代表の四柱推命鑑定師とは!?その出会いと2つの宝物。

占い歴と同じくらい長くマジックを学びマジシャンとして活動しています。

二足のわらじを履く鑑定師をご紹介しましょう!

四柱推命鑑定師 しょうへい

型にハマらない自由な四柱推命を通して、どんな相談にもお客様の主体性とモチベーションを引き出すような言葉を紡ぐ占い師。

多くのクライアントから「自分の目指す方向が見えてきました」、「自分の本質を見つめ直すことができた」、「絡まった心の糸がほぐれた」など前向きなコメントが多く届いている。

四柱推命を教える講師としても、「10冊の参考書よりも学びが多い!」とその分かりやすさに定評がある。

マジックとの出会い

私がマジックと出会ったのは10歳の夏、後に師となる自由の森学園(埼玉県飯能市)の数学科教師のマジックに魅了されました。

その後、2001年に自由の森学園入学と同時に部活動として手品部に入部したことで私のマジック人生がスタートします。

この数学科の教員であり私の師匠は過去にマジックの世界大会(FISM)に出場したことのあるマジシャンでした。

鑑定師 しょうへい

師匠は大きな体に似合わず手先は実に器用で繊細なマジックを得意としていました。

入部初日に教えてもらったマジックは丸めたティッシュが手の中から消えてなくなる大変難易度が高い技でした。

一通り教わったら鏡の前で延々と2時間練習したことを覚えています。その間、師匠は自分のデスクで居眠りしていたこともハッキリ覚えています。

マジシャンとしての活動

高校3年の夏に若手マジシャンの登竜門である「テンヨージュニアマジシャンビデオコンテスト」に優勝したことでマジックが趣味以上の存在に変わっていきます。

18歳~25歳まで日本国内外のコンテストに挑戦する日々が続き、中国留学中には現地のテレビ番組に出演するなど “派手に” 活動していました。

特に20歳の時にマジック界のオリンピックと称されるFISM(フィズム)に日本代表として出場し5位の成績を収めるなど着実にマジシャンとして実績を積み上げます。

鑑定師 しょうへい

表現力の豊かさや、やると決めたら最後までやり遂げる姿はしっかり四柱推命の命式にもしっかり表れているんです!

現在では子どもをメインターゲットとしマジックを教える仕事に専念しています。

子どもたちが習得したマジックを友達や家族の前で披露した時の達成感や満足そうな顔を見ると、世界大会で評価された時以上の喜びを感じるものです。

世界大会出場時の映像(FISM2009)
金杯魔術団(中国、2009)

コンテスト受賞歴

【2006年】
・第五回テンヨージュニアマジシャンビデオコンテスト グランプリ

【2008年】
・第一回中国全土大学生マジックコンテスト(两岸四地大学生魔术比赛) 優勝

【2009年】
・第三回マレーシア国際マジック大会(Magic Extravaganza) 第2位
・FISM(世界大会) パーラー部門 日本代表 5位

【2013年】
・第十回アジアマジック大会(AMA)第3位

【2014年】
・マカオタレントショー 優勝
・学生マジックアワード(日本) 優勝

2つの最高の瞬間

かれこれ21年以上もマジックを楽しんでいる私ですが心の底から「マジックをやってて良かった!」と思えた瞬間は決して多くありません。

真剣にマジックと向き合ってきたからこそ辛い時期もあったわけですが、今日はマジックをやっていたからこそ出会えた2つの最高の瞬間をお話させていただきます。

イラン人女性が見た本物のまほう

カナダのモントリオールに留学していた20歳の頃の話です。

通っていた語学学校にイラン人女性(当時21歳)が入学しました。ヒジャーブ(スカーフ)で髪の毛を隠し顔だけが出ているその姿にカルチャーショックを受けたことを鮮明に覚えています。

歓迎会の場で彼女にマジックを披露することになります。マジックを初めて見る彼女は何が起こるのか分からずキョトンとして椅子に座っています。

私が披露したマジックは、一枚のコインを手の中で揉むと次第に消えて無くなる実にシンプルなものです。

周囲の友人が歓声や拍手が私に贈られる中、彼女は目を輝かせたまま微動だにしていませんでした。

その混じり気の無いその目を見た瞬間に私は悟りました。

彼女はマジックではなく “まほう” を見たのだ

長年マジシャンをやっていますがあれだけ澄んだ目を見たことはそれ以来ありません。彼女の眼にはマジック以上の何かが見えていたはずです。

鑑定師 しょうへい

あの瞬間、あの目の輝きは今でも私の大切な宝物なのです。私も初めてマジックを見たときは彼女と同じように “まほう” の様に見えたのですから。

共通言語が無くても繋がることができた瞬間

2013年2月、大学の先輩に連れられてタイのチェンマイを訪れたことがあります。

目的は先輩が支援している3つの施設でマジックショーを行うこと。その施設というのが、孤児院山岳民族の高校生が暮らす寮、そして小学校でした。

私はタイ語が離せませんし、子どもたちも英語や日本語を理解することはありません。共通言語が無い中でマジックショーがスタートします。

限られたタイ語だけを覚え、あとはボディランゲージと表情だけでコミュニケーションを取っていきます。

結果、3つのマジックショーは大成功を収めることとなります。写真でもお判りいただけるように、ことばや文化の壁を越えてマジックで繋がることができたのです。

鑑定師 しょうへい

この貴重な経験を通してマジックと自分自身が秘める可能性を感じることができました!

さいごに

この記事では私の事を知っていただくために四柱推命以外の顔を覗いていただきました。

あくまでも私の人となりを知っていただくきっかけとなれば幸いです。

四柱推命に限らずマジックについてもどうぞお気軽にお問い合わせください!