ただがむしゃらに、ひたすらに夢を追い続けた10代後半、迷い苦しみながら明るい未来を目指した20代前半。四柱推命を通して振り返ると、その時の全ての「自分」に納得するのです。そして、それ故に今の自分が存在しているのだと感じます。

もくじ

自由の森学園:特別になろうとした時期

  数字で生徒を評価しない・・・そんな特殊な学校には宿題も試験も、通知表も存在しません。「特別な存在になりたい」そんな思いで様々な事に挑戦しました。在学中は6つの部活動を掛け持ちし主に和太鼓や日本の民族舞踊を踊る部活に注力。6年間で150の公演を行い自己表現に情熱を注ぐ日々を送りました。そして手品と中国語との出会いもこの時期でした。

手品との出会い

  自由の森学園に入学と同時に手品部に入部しました。手品部の顧問は世界大会に出場する程の腕前でした。6年間しっかりマジックを学び、17歳の時に日本ジュニアで優勝しマジックに増々のめりこむようになりました。。
  高校の卒業式で僕は自分の夢を宣言しました。

「将来の夢は世界の子供たちにマジックで笑顔を届けること」

中国語との出会い

  「なぜ、みんな英語を勉強しないといけないのだろう?」そんな疑問から14歳で中国語を学び始めました。英語の授業中に中国語を勉強していると、教師に「出て行け!」と言われたこともありました。人と違う生き方を目指していた当時「違っていても間違っていない」という強い意志があった。そんな私にとって中国留学を決意したのは至極自然な成り行きだったのかもしれません。

中国・北京:好きなことを追求した時期

  高校を卒業して一か月後、北京での留学生活がスタートしました。初めての一人暮らしが北京、そして自分の足で人生を歩み始めた瞬間でした。恵まれた環境を最大限にいかして、中国語をひたすらに勉強し、マジックを思う存分楽しんだ2年3か月です。

1日16時間中国語に没頭した日々

  留学当初は自分の意思も満足に中国語で表現できませんでした。そんな悔しさと好きな中国語に集中できる環境があったからか、寝る時間以外は常に勉強していました。私にとっては至福の時でしたが、やりすぎて心と身体が悲鳴を上げることも度々・・・突発性難聴なんてしょっちゅう起こりました。そんな努力のかいあって、1年が過ぎる頃には中国語はペラペラになり、努力次第で結果が付いてくることを知りました。

人生初めての迷い、そして方向転換

  北京留学も2年目に突入した頃、現地の学生マジックコンテストで優勝しテレビ出演のオファーをいただくように。ここで魔が差してしまうのです・・

「マジックも勉強も全部やりたい」

  その当時、北京大学への入学を目指していた私にとって、それは大きな迷いでした。北京大学に進学すればマジックをやる暇はなくなります。迷い考え抜いた末に、全力で追い続けた目標を諦めマジックと学業の両立を志すことにしました。マジック50%、勉強50%の力配分ではありません、両方とも100%の超全力疾走に切り替えるのです!

マジック絶頂期

  北京留学後半の1年間はマジックが中心の生活です。テレビ出演やコンテストの為に中国を飛び回る日々、中国人しかいない環境に飛び込むので、リアルな中国語を学ぶ最高の環境です。大きな番組にも出演し、街で声をかけられることもありました(自慢)。そして2009年7月マジックの世界大会、FISMに日本代表として出場を果たし同時に北京留学を終えることとなります。14歳から思い描いていた北京留学を全力で走り抜けることが出来ました。

  そして新しい挑戦が始まります。

カナダ・モントリオール:自分の過去を肯定し続けた時期

  英語嫌いの私も英語が使えなければ世界で活躍できない、そう気づいてモントリオールに拠点を移しました。幸いにも両親は肯定的で背中を押してくれました。モントリオールでは沢山の現実を突きつけられ、自分が決断してきたことに自信を失うこともありました。夢を追いかけること自体が間違っていたのかも・・・そんな考えをはねのける様に北京留学以上に頑張った。

Youが書けない日本人

  勉強しなくていい高校に通っていたため、英語は全くできませんでした。You(あなた)のスペルが分からないほどです。それでも新しいことを学ぶ楽しさ、北京とは異なる人種と関われて毎日がとても充実していました。しかし、いつまでも留学生活ができるわけもありません。現実的な進路を見つけなければいけない時が迫っていました。

何気ない一言で本気になった

  高校を卒業してから3年が経った頃、自分の心が疲れ果てていることに気が付き日本で大学進学することを決意しました。そんな時にモントリオールで出会った日本人女性が言った一言が私をひどく傷つけ、そして本気にさせました。

「22で大学入って、26で就職!?どこの会社が拾うんだよ」

  現実を突きつけられた瞬間でした。どこで道を踏み間違えたのか、夢を追うこと、人と違うこと自体が間違いだったのかと過去の自分を悔やみ続けました。
  ただ、それで折れるような人間ではありません。自分の今までの決断を肯定するために、過去の自分に誇りを持てるように新たな目標に向かって邁進することとなります。

最後の挑戦

  次の目的地は上智大学国際教養学部です。半年前までYouが書けなかった人間が目指すようなところではありません。それでも、今まで目指した目的地の中では手の届く範囲に感じられたのです。長い留学生活と自分が目指してきた全ての夢をぶつけるように勉強に励みました。心が潰れてしまうような苦しい時もありましたが、歯を食いしばって走りました。そして高校を卒業してから3年6月後の2010年10月、持てる力を全て出し切って日本に帰国しました。

上智大学:日常の中で自分を模索した時期

  今までの学業とは異なり、課題と試験をこなせば良いだけの大学生活が始まりました。少し気が抜けるような生活でしたが、今まで頑張ったご褒美と思って学生生活を満喫。そんな日常の中で過去、現在、未来の自分を繋ぐように自分を模索することが多かった気がします。

学業とマジックの両立

  学業でしっかり結果を残しつつ、都内のマジックバーでプロと肩を並べて働いていました。いや、学生プロとしてガッツリ働きました。また子供向けのマジシャンとして活動し始めたのもこの頃です。自分の手で沢山の笑顔を作りマジックを通して自分を感じる日々を過ごしました。大変な生活でしたがやりがいと生きがいを実感する日々。こんな生活がずっと続けばいいのに・・・

人生最高の一日はタイ・チェンマイで

  2014年2月に長年抱いていた夢を叶えることができました。大学の大先輩のご厚意で、タイ・チェンマイの農村部にある孤児院、小学校、山岳民族の高校生が住む寮でマジックを披露できたのです。ことばや文化の壁を越えて子供たちと繋がった人生最高のマジックショーでした。
 また、別件でチェンマイを訪れていた当時の大学副学長と一緒に食事をする機会に恵まれました。私のバックグラウンドと想いを知り、副学長が言った一言は今でも心に残っています。

「あなたには翼がある、翼があるのに飛ばないのはもったいない」

就活ごっこ

  さて、日本に帰国したのは大学4年の夏。一般的な大学生であれば既に就職先を決めている頃です。日本企業に私が合わないことは承知の上で、「就活ごっこ」と皮肉交じりに何社か面接を受けることに。引っかかったのが「F」のつくIT系の大企業でした。

「22で大学入って、26で就職!?どこの会社が拾うんだよ」

  モントリオールで言われた一言が頭をよぎります。その女性が間違っていたのではない、頑張った自分がいたからだと自分を誇ることにしました。

メーカー勤務:自分ではなかった日々

  きっと普通の人なら喜ぶような就職先も、私には刑務所のようなもの。それでも当時の私には「外的要因」でこの道を選ばざるおえなかったのです。このころから自分の人生を歩んでいる実感を失いました。占い的に言えば自分の星をいかせなくなりました。

入社2週間で辞めたくなる

  最初の1か月は集合研修です。そんな中で故意に圧力をかけて課題を進める研修が始まりました。上司役の外部講師が我々新入社員に怒鳴り圧力をかけるのです。研修の一環と理解しながらも、これを良しとする会社に疑問を抱き「ここにいると毒される」と退職を決意。

入社3か月で辞める準備を始める

  希望した部署に配属されたこともあって、数年は堪えるつもりで働き始めましたが心は正直です。知らず知らずのうちに心がすり減り悲鳴を上げていました。ある晩、知らず知らずの内に涙をこぼしている自分に気づきました。留学中はどんなに苦しくても、歯を食いしばって進んでこれたのに・・・
  また自分らしく夢を追いたい。入社して最初の夏休みに退職の理由作りや次の仕事の手配などを始めます。

11か月間耐え抜いた

  1日でも早く退職したい気持ちを抑えてどうにか11か月耐え忍びました。最終出勤日に会社を出た後、何度も大きなガッツポーズをしたことを今でも鮮明に覚えています。ここから人生再スタート。18歳の春に留学生活が始まったときの様な高揚感を抱いていました。
  短い会社生活にも学ぶことは沢山ありました。特に私をサポートしてくれた女性社員には頭が上がりません。ありがとうございました。

自由と不自由:それでも自分を取り戻せなかった

  やりたいことは何でもできる。そんな環境を手に入れても以前の様な「自分」を取り戻せずにいました。生活も考え方も保守的になり、じっと堪えるそんな毎日を送っていました。
  ここでは多くを語れません。しかし、四柱推命を学んで分かったことは天中殺が巡ってきたのです。じっとりとした重い運気と気持ちを抱えながら冬の時期を過ごします。良いことも沢山ありましたが、「自分の不在」はいつもそこに。

  天中殺の最後の年に人生の転換期を迎えます。

現在:ふいに訪れた転換期、自分を思い出した

  2019年春、ふいに訪れたある転換期。自分らしく人生を歩み始めるきっかけとなりました。その瞬間から人生が一変、沢山の良縁に恵まれ2020年2月に鳥海伯萃に弟子入りするに至ります。同時に天中殺から抜けると、欠落していた「自分」と以前の様な情熱を取り戻しました。

マジシャンとして

  子供向けにマジックをするキッズマジシャンとして活動しています。毎月子供たちに自作のマジックを教えるマジック教室や、行政の子育て支援事業などに携わっています。今後はアジアを中心に、大勢の子供たちに笑顔を届けたい。そして子供たちの輝く瞳を見たい。

日中英語通訳として

  エンタメ業界を中心に通訳をしています。14歳で始めた中国語が今、花開き人と人とをつないでいます。

四柱推命鑑定士/講師として

  自分の経験と知識を生かして、「叶えたいことがある、叶えたい自分がいる人の為の四柱推命」を目指しています。しかし占いで全てが解決するわけではありません。より良くしたいという強い意志が何よりも大切です。そんな人を応援してゆきます。

最後に

  四柱推命で自分の過去を振り返りました。北京やモントリオールで向き合った迷いや葛藤、その都度下した決断は全て自分が持つ星と繋がっていたように感じます。そして星と心が同調したとき、必ず前進していました。

  夢というものは自分らしく生きていかないと叶いません。自分らしく生きること、それ即ち自分の星を活かして生きることなのです。叶えたい夢、叶えたい自分がある人を四柱推命で応援したい、次は私があなたの背中を押す番です。